■ 宝満寺の歴史 ■
善通山宝満寺(寳満寺)は、江戸時代の 享保九年(一七二九年)に尾張本山 妙勝寺第二十七世宝満院日繁上人( ほうまんいんにちはんしょうにん)により建立された寺です。
|
宝満寺建立についての推測 |
|
|
|
1、宝永大地震(宝永4年・1707年)の発生による甚大な被害から、民衆の不安を取り除き、復興のための心の拠り所として建立されました。 |
|
|
2、徳川吉宗の命じた享保の改革の一つである「上米の制」により、年貢の取り立てを強化する目的として建立された。 |
|
|
3、幹線街道である鎌倉街道に面しているため、名古屋防衛の前線基地としての役割を果たすために建立された。 |
|
|
4、今宿村に寺が無かったため、信仰のよりどころとするため建立された。 |
|
|
|
以上の事から建立されたと推測されます。 |
|
日繁上人は宝満寺開山の後、5年程した亨保十四年八月七日に遷化(死亡)されました。開山上人碑は当山墓地の一番奥列左より二番目にございます。
■ 宝満寺と日蓮聖人 ■
宝満寺正面西側の道路は鎌倉時代の主要道路である鎌倉街道にあたります。
日蓮聖人は、鎌倉時代の仏教中心地比叡山(ひえいざん)に十年程修学されました。その際、鎌倉街道を利用されたと言われています。
日蓮聖人は宝満寺正面西側を通られたと思われます。さらに当地は甚目寺観音への分岐点に当たるため、茶屋・宿が存在したと言われています。したがいまして、日蓮聖人が当地でご休憩された可能性があります。
宝満寺は、日蓮聖人足跡の地と思われます。
日蓮聖人ゆかりの寺院で南無妙法蓮華経と唱え幸せになりましょう。
|